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史跡下野薬師寺跡「第44次発掘調査」現地説明会を開催しました

下野薬師寺跡第44次発掘調査の現地説明会を開催しました

下野薬師寺跡の保存と再建の塔跡北側地区の利用形態の解明を目的として実施した第44次調査の成果について、多くのみなさまにお知らせするために、令和8年1月31日(土曜日)に現地説明会を開催しました。

内容

下野薬師寺跡第44次発掘調査

第44次調査は、再建の塔跡北側地区の利用形態の解明を目的として実施しました。

調査の結果、掘立柱塀跡、竪穴建物跡、道路跡などを確認しました。

主な調査成果

  • 中心伽藍(がらん)の造営時期が判明
    寺の中心部(創建時の塔・東金堂・西金堂)を区画する塀の造作が、7世紀末に行われていたことが判明しました。
    これにより、7世紀末には主要な建物の建築がかなり進んでいたことが明らかになりました。
    これまでの調査で出土した軒先瓦の文様が奈良県明日香村に所在する川原寺式(飛鳥時代の670年頃創建)であることや本地域を本貫とする下毛野朝臣古麻呂との関係などから、下野薬師寺の創建を7世紀末頃と想定してきましたが、今回の調査によって造営開始が7世紀末よりさかのぼる可能性が裏付けられました。
  • 創建期における寺の造営と関係する道路遺構を発見
    伽藍中心部東側で見つかった路面幅約10mの道路跡は、当時の東山道(とうさんどう)などの官道に匹敵する規模です。
    これまでの調査で見つかっている、寺院創建期の前段階の建物群(落内遺跡:7世紀中頃~)とあわせ、この「道路」が下野薬師寺の造営や立地の選定に密接に関わっていたことが示唆されます。
  • 「謎のベール」に包まれた東国の飛鳥時代の実像解明
    今回の調査によって、下野薬師寺の創建が7世紀末をさかのぼる可能性があること、造営のためにさまざまな地域から人員が派遣されていたこと、寺の東30mに幅10mに及ぶ直線道路が存在したことが明らかになりました。これらのことは、文献史料の少ない東国の飛鳥時代における地方開発の実態を具体的に示す極めて重要な発見であったと考えられます。

 

航空写真(写真上が北)

上空から見た第44次調査現場

当日のようす

説明会のようす説明会のようす2


掲載日 令和8年2月4日
アクセス数
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